民藝運動
民藝運動は、一九二〇年代後半に柳宗悦が中心となって始めた、日常の手仕事を評価しなおす運動である。「民藝」は民衆的工芸の略で、無名の職人が実用のために数多く作ってきた器や布や道具を指す。美術品として鑑賞されるものではなく、使われるために作られたもののなかにこそ健やかな美しさがあるという主張が、この運動の芯にある。柳はこれを「用の美」という言葉で言い表した。
背景には近代化と産業化がある。機械生産が広がり、地方の手仕事が急速に失われていく時期に、柳は各地を歩いて無名の品を集め、その価値を言葉にしていった。彼の眼を育てたものの一つに、朝鮮半島の陶磁器との出会いがある。作者の名が残らないこと、同じものを繰り返し作ること、材料も技法も土地に根ざしていること。近代美術が重んじる独創性とは正反対の条件を、むしろ美の源泉として読み替えた点が新しかった。
柳とともに陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎が活動し、イギリスの陶芸家バーナード・リーチが加わったことで、運動は早い段階から国際的な回路を持った。リーチは日本での経験を英国に持ち帰り、両国のスタジオ・ポタリーの流れをつないでいる。染色の芹沢銈介、木版の棟方志功のように、無名性を掲げた運動のなかから個人の名で知られる作り手が現れたことも、この運動の広がりを示している。一九三六年には日本民藝館が開かれ、収集と展示の拠点となった。
戦後になると、この視点は展示や研究の枠を越えて広がった。各地に民藝館が生まれ、日用品を選ぶ基準として「手仕事のもの」を意識する感覚は、暮らしの道具を扱う店やデザインの現場にも根を下ろしている。民藝運動は、工芸を美術の下に置く序列を揺るがし、生活のなかの美という視点を定着させた。一方で、無名性を称えながら特定の作家が有名になっていく矛盾や、「地方らしさ」の理想化については後年に批判もある。器を見るときは、正面から眺めるだけでなく、手に持ったときの重さや口当たりを想像してみると、この運動が何を見ようとしたのかが伝わってくる。