日本現代美術
会田誠の絵の中で、少女や戦闘機やサラリーマンが、笑いとも悪意ともつかない筆致で並んでいる。美術館に飾られるべき絵とはこういうものだ、という前提そのものを茶化すような画面は、日本の現代美術がどこから出発したかを端的に示している。一九八〇年代の日本には、抽象表現やもの派が築いた重厚な文脈がすでにあった。そこに育った世代は、その重さから逃げるように、あるいはそれを笑うように、サブカルチャーやマンガ、アニメ、消費社会の記号を平然と持ち込み始めた。
背景にはバブル経済期の物質的な豊かさと、その後の崩壊がある。中原浩大は玩具やフィギュアのような形を巨大な立体作品に仕立て、堀浩哉は絵画の制作行為そのものを問い直す実践を続けた。カイカイキキは、作家個人ではなく工房として作品を量産する仕組みを打ち立て、美術と商品、作家と職人という境界を意図的に溶かした。ブブ・ド・ラ・マドレーヌは自らの身体とジェンダーを表現の中心に据え、それまでの美術が避けてきた主題に踏み込んだ。gunやmr.のように、集団名や記号的な名前を名乗る作家が現れたことも、この時期の特徴である。個人の署名としての作家性を、あえて曖昧にしてみせた。
久門剛史は光と音を使った空間的な作品で、絵画や彫刻という単位そのものを揺さぶり、伊藤存は刺繍という手仕事の技法を現代美術の語彙に組み込んだ。中村一美や吉村芳生、吉澤美香のように、絵画という古い形式に留まりながら、その内部で色彩や反復、緻密な描写を通じて新しい強度を探った作家たちもいる。派手なポップさと、地味だが粘り強い探求が、同じ時代に並立していたことを見落としてはならない。
この運動を見るときの勘所は、技術的な洗練よりも、何を美術として提示する権利があるのかという問いの持ち方にある。オタク文化や身体、手仕事といった、それまで美術の外側にあったものを、堂々と中心に据えた点に、この時代の作家たちの本当の仕事がある。国際的な展覧会や市場での評価が、この動きを後押ししたことも見逃せない。