現代彫刻
台座から彫像を降ろしてしまったら、彫刻はどこへ行くのか。ヘンリー・ムーアの人体は大きな穴を抱えて横たわり、内と外の境がなくなる。ブランクーシの《空間の鳥》は羽も嘴も持たないまま、金属の一本の曲線として空を指す。二十世紀半ばの彫刻家たちは、人体や動物を「かたどる」という古典的な仕事から離れ、量感そのもの、空間そのものを扱う仕事へと踏み出した。石やブロンズを削り出す代わりに、穴を開け、面を磨き、光を素材の一部として扱う。彫刻はここで、記念碑や肖像から自立した造形の探究へと重心を移した。
この転換を支えたのは、抽象絵画の展開や、工業技術による新しい素材と工法の登場である。溶接、鋳造の精度向上、ステンレスやガラス繊維強化樹脂といった素材が、彫刻家の手を石工や鋳物師の技から解放した。バーバラ・ヘップワースは弦を張った木彫で、彫刻に音楽的な緊張を持ち込んだ。イサム・ノグチは日本の石工の技術と近代デザインの感覚を往復し、庭園や公共空間そのものを彫刻として構想した。彫刻は室内の展示品であることをやめ、都市や風景の中に置かれる存在になっていく。
各地の作家たちは、それぞれの土地の彫刻的な語彙を持ち込んだ。フランシスコ・スニガはメキシコの先住民の女性像に量感と沈黙を与え、アルバロ・オブレゴン・サンタシリアは記念碑という公共彫刻の伝統を近代都市の中に据え直した。ジャコモ・マンズーは教会彫刻の伝統を継ぎながら、その表面を静かに近代化した。ヴァイノ・アールトネンの肖像彫刻は、北欧の彫刻がなお人間の顔にこだわり続けたことを示している。
戦後生まれの作家たちに至って、彫刻はさらに開かれた。アニッシュ・カプーアは鏡面のステンレスで空間そのものを歪め、彫刻を「見る体験」に変える。アントニー・ゴームリーは自分自身の身体を型取り、彫刻と観客の間の距離を測り直す。トーマス・シュッテは人形のような小さな像で、彫刻の権威そのものを軽く突き崩す。見るときの勘所は、何を象っているかではなく、素材と光と空間が自分の身体にどう作用するかを確かめることにある。