ArtNote/作家/水田竹圃
ARTIST

水田竹圃

Mizuta Chikuho
1883 – 1958日本 出身大阪 / 京都
18001850190019502000
■ 水田竹圃の生涯 1883–1958

水田竹圃(みずた ちくほ、1883-1958)は明治から昭和期に活動した南画家。大阪市生まれ、本名は忠治。1897年頃、大阪の南画家・姫島竹外に入門して南画を学び、伊藤祐雄に漢学を学んだ。1912年の第6回文展で入選し、以後文展・帝展で活動、1916年頃には特選を受けるなど画壇で評価を高めた。1910年代末に京都へ移り、1921年(大正10年)頃、小室翠雲・河野秋邨・池田桂仙らとともに日本南画院の創立に参加した。晩年は京都市北区を拠点とし、1958年に京都で死去した。号に卍碧堂・積翠堂などがある。

美術運動

日本南画院(南画・文人画)
大正-昭和初期

近代日本における南画(文人画)の復興を目指した団体で、水田竹圃は小室翠雲・河野秋邨・池田桂仙らと共に創立に関わった。

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作品例

普陀
三峡
秋声
残照
月光
南画(文人画)日本画屏風掛軸

水田竹圃から広がる系譜

ノードに触れると関係が表示・ドラッグ可
姫
姫島竹外
1840–1928
師

同時代の作家

姫
姫島竹外
1840–1928
水田竹圃の師。大阪南画壇の重鎮。
小
小室翠雲
1874–1945
日本南画院創立の同志とされる南画家。
池
池田桂仙
日本南画院創立に関わった京都の南画家。
河
河野秋邨
日本南画院創立の同志とされる画家。
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