モダニズム建築
アドルフ・ロースは一九〇八年、「装飾と犯罪」という文章を書いた。建物の壁を飾り立てる伝統的な意匠を、彼は時代遅れの浪費だと断じた。この過激な主張が、やがて世界中の都市の風景を塗り替えていく思想の出発点のひとつになる。装飾を削ぎ落とし、鉄骨・コンクリート・ガラスという工業化時代の新しい材料をそのまま形にする。それがモダニズム建築の基本的な態度だった。
背景にあるのは、鉄とコンクリートによる建設技術の飛躍と、人口が急増する都市に大量の住宅や庁舎を供給しなければならないという切実な必要である。過去の様式を借りてくる余裕はなかった。アルヴァ・アアルトはフィンランドの気候と木という素材に向き合いながら、機能的でありながら人に優しい建築を追求した。エーロ・サーリネンは空港や自動車会社の建物に、飛行機や自動車の時代にふさわしい流動的な曲線を持ち込んだ。オスカー・ニーマイヤーはブラジルの新首都ブラジリアで、鉄筋コンクリートを自在に操り、官庁建築を彫刻のような曲面で構成してみせた。それぞれ国も気質も違うが、素材の論理を隠さず形にするという一点で共通している。
戦後になると、この運動はより多様な展開を見せる。エルノ・ゴルドフィンガーはロンドンの高層集合住宅で、コンクリートの荒々しい質感をあえて剥き出しにした。ポルトガルのエドゥアルド・ソウト・デ・モウラやアルヴァロ・シザは、地中海の光と地形を読み込みながら、簡素な壁と開口部だけで詩情を生み出す道を選んだ。I.M.ペイは幾何学的な形態を明快な構成で世界各地の美術館や公共建築に定着させ、モダニズムが国境を越えた共通言語であることを示した人物である。
この運動が示した「機能に忠実であれば形は美しくなる」という信念は、後の世代から反発も受けた。装飾を排した箱型の建物が均質な都市風景を生んだという批判は根強く、一九七〇年代以降のポストモダン建築はその反動として現れる。それでも、ビャルケ・インゲルスやSANAAのような現代の建築家たちの仕事の根底には、なお素材と構造に正直であろうとするモダニズムの姿勢が息づいている。今その建物を見るときは、装飾の不在そのものを、当時の建築家が下した積極的な選択として眺めるとよい。