前衛写真(新興写真)
印画紙の上で、レンズを通さずに光そのものが像を結ぶ。フォトグラムと呼ばれるこの技法が、一九三〇年代の日本の写真家たちを熱狂させた。折り重なる歯車、斜めから差し込む光線、幾何学的に切り取られた影。カメラは記録の道具であることをやめ、造形そのものの実験場になった。それまで写真といえば、風景や人物を写実的に写しとる芸術写真が主流であったが、この新しい世代は印画紙の上で光と化学薬品を操作し、絵画的な模倣から離れた独自の表現を追求した。
背景には、ドイツのバウハウスやロシア構成主義から伝わった前衛美術の情報があった。雑誌や展覧会を通じて、幾何学的な構図、極端な俯瞰や仰角、多重露光といった手法が紹介され、日本の写真家たちはこれを貪欲に吸収した。写真機材の普及と印刷技術の向上により、個人が実験的な作品を発表できる場が広がったことも大きい。都市の工場、機械、看板といった近代的な風景そのものが、格好の被写体として彼らの目に映った。
作家たちの仕事は多岐にわたる。フォトグラムや多重露光による抽象的な構成を試みた者もいれば、日常の事物を極端な角度から捉え直し、見慣れた世界を異化して見せた者もいる。集団や地方の写真団体を通じて互いに刺激を与え合い、雑誌への発表を活動の軸とした点も共通している。個々の名は必ずしも広く知られていないが、彼らが積み重ねた実験の蓄積が、日本における前衛写真の土壌を形づくった。
戦時体制の強化とともに、こうした実験的な表現の場は急速に狭められていく。しかし彼らが試みた光と機械への視線は、戦後の写真表現に確実に受け継がれた。作品を見るときは、被写体が何であるかよりも、光がどう扱われ、構図がどう組み立てられているかに目を凝らしたい。技術そのものを表現の核に据えた、その野心の跡がそこにある。