ARTIST
荒井寛方
Arai Kanpo
1878 – 1945日本 出身栃木県 / 東京 / インド
18001850190019502000
■ 荒井寛方の生涯 1878–1945
荒井寛方(あらい かんぽう、1878-1945)は栃木県塩谷郡氏家町(現・さくら市)出身の日本画家。本名寛十郎。1899年に水野年方へ入門し歴史画・風俗画を学び、翌年「寛方」の号を得て同門の四天王と称された。1901年の日本絵画協会共進会で褒状を受け、1902年国華社に入社。1914年再興日本美術院に加わり、翌年「乳糜供養」で同人となる。1916年来日したタゴールとの縁でインドへ渡り、ビシュヴァ・バーラティ美術学校で教え、アジャンタ石窟壁画の模写にも参加、1918年帰国。台湾・中国・欧州にも渡った。「仏画の寛方」と称され、晩年は法隆寺金堂壁画模写に従事したが完成前の1945年、模写のため向かう列車内で急逝した。
美術運動
日本美術院(再興院展)
大正〜昭和初期
岡倉天心の理念を継ぐ再興日本美術院に大正3年(1914年)加わり、大正4年に同人となった。歴史画・仏画を得意とし、汎アジア主義的な文化交流にも関わった。
作品例
乳糜供養
温和
アジャンタ壁画模写
法隆寺金堂壁画模写
日本画仏画壁画模写
荒井寛方から広がる系譜
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同時代の作家
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