ArtNote/作家/本多錦吉郎
ARTIST

本多錦吉郎

Honda Kinkichiro
1851 – 1921日本 出身東京 / 広島
18001850190019502000
■ 本多錦吉郎の生涯 1851–1921

本多錦吉郎(ほんだきんきちろう、1851-1921)は明治期の洋画家。広島藩の江戸屋敷(現・東京都渋谷区)に生まれ、広島藩校で洋式兵学を学んだ後、国沢新九郎が主宰する洋画塾「彰技堂」に入門。国沢の没後、遺言によりこれを継承し、丸山晩霞・小川芋銭・下村為山らを育てた。1877年から1883年頃までは風刺新聞『団団珍聞』などに漫画も提供し、1883年から陸軍士官学校・幼年学校で図画教官を務めた。1889年には東京美術学校が洋画を排したことに対抗し、小山正太郎・浅井忠らと日本初の洋風美術団体「明治美術会」を共同設立。代表作に油彩「羽衣天女」(1890年)や「景色」がある。

美術運動

明治美術会
明治期(1889年設立)

東京美術学校が当初洋画を除外したことに対抗し、小山正太郎・浅井忠らと共に設立した日本初の洋風美術団体。

運動ページへ →

作品例

羽衣天女
景色
洋画風刺漫画造園

本多錦吉郎から広がる系譜

ノードに触れると関係が表示・ドラッグ可
丸山晩霞
1867–1942
彰技堂での弟子
小川芋銭
1868–1938
彰技堂での弟子
下村為山
1865–1949
彰技堂での弟子

同時代の作家

本多錦吉郎の作品と出会ったら、ArtNoteで記録しよう作品を撮るだけ。タイトルも作家も、AIが整理します。
アプリを入手
この解説はAIが生成し、ArtNote編集部が確認しています。 誤りを報告する