ArtNote/作家/飯田操朗
ARTIST

飯田操朗

1908 – 1936日本 出身日本
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■ 飯田操朗の生涯 1908–1936

飯田操朗(1908–1936)は兵庫県姫路に生まれた洋画(洋画)の画家。はじめ大阪の信濃橋洋画研究所(信濃橋洋画研究所)——関西の洋画家の重要な地域の育成の場——で絵を学んでから、上京して太平洋画会(太平洋画会)の研究所で修学を続けた。公の画歴は、既成のアカデミックなサロンに代わる場として1930年11月に福沢一郎・里見勝蔵・児島善三郎らが興した洋画のグループ・独立美術協会(独立美術協会)を軸とする。1931年(昭和6)の同会の第1回展に入選し、以後の回でも出品・受賞して、評価を高めた末に独立美術協会の会友(会友)に選ばれた。「飾画(しょくが)」(装飾・応用の絵画のグループないし展)に連なったとも記録される。作風は、フォーヴィスムの強い輪郭線を帯びた風景から出発し、福沢一郎の影響のもとシュルレアリスムへ移り、のちにキュビスムの要素も取り込んで、いよいよ色豊かで形に富んだ構成を作った。この有望な展開は、1936年、独立の会友に選ばれてまもなく、28歳で心臓発作で急逝したことにより絶たれた。作は東京国立近代美術館(MOMAT)の収蔵にあり、兵庫・徳島の地域の美術館の作家データベースにも記録される。若くして没し作が少ないため、詳しい出品・受賞の記録や具体的な代表作の題名は、アクセスできる資料では記録が薄い。

美術運動

独立美術協会
昭和

1930年に創立された日本の在野の洋画団体

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飯田操朗から広がる系譜

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