ARTIST
青柳暢夫
1907 – 1962日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 青柳暢夫の生涯 1907–1962
青柳暢夫は福岡市に生まれた洋画(洋画)の画家。生年は資料により1907年(明治40)か1908年(明治41)で少し分かれるが、複数の独立した資料が没を1962年9月10日とする。福岡中学の学生のとき、美術教師・杉江春夫にその才を認められたと伝わる。1924年に上京し、画家・堅田得郎に学んだとされ、1926年に川端画学校(川端画学校)に入った。1929年から清水登之に学び、帝国美術学校(帝国美術学校)にも通ったと記録される。青柳は、既成の二科会に対するよりモダニズム志向の代わりの場として1930年に東京で興った洋画の団体・独立美術協会(独立美術協会)に連なった。1931年の同会の第1回展に「庭」「荻窪風景」を出品し、以後の数十年も同会に出品を続けて、郷里の福岡とともに東京の荻窪あたりを活動の拠点としたことをうかがわせる。1930年代の作はフォーヴィスムの影響を示し、戦後はおおむね静物に向かってキュビスム風の形の扱いを探り、1950年代後半に風景がふたたび制作に現れて、いよいよ表現的で力強い筆致となった。物故洋画家の参照資料や福岡県立美術館の作家データベースに載るが、これらの概略を超える出品歴・受賞・美術館の所蔵は独立には確認できなかった。
美術運動
独立美術協会
昭和
1930年に創立された日本の在野の洋画団体
作品例
荻窪風景
洋画
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