ARTIST
難波香久三
1911 – 1996日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 難波香久三の生涯 1911–1996
難波香久三(1911–1996)は、現在の岡山県真庭市の勝山あたりに生まれた洋画家。大阪府庁の職員として働きながら、関西大学の夜学に通い、大阪の中之島洋画研究所(中之島洋画研究所)で絵の修学に打ち込んだ。第二次大戦前は二科展(二科展)などに出品し、1938年に二科会(二科会)のなかで吉原治良らが興し、藤田嗣治・東郷青児が顧問を務めた前衛の絵画の研究団体・九室会(九室会)の創立に加わった。およそ三十名のこの圏で、吉原治良・山口長男らが抽象・シュルレアリスムを追ったのに対し、難波は当時の社会の状況を直に映す作で注目された。同会は1943年の第3回展を最後に活動を終えた。戦後まもなく郷里の勝山へ戻り、のちに上京して、教える仕事で画業を支えた。主に、戦後の代表的な在野の出品団体・行動美術協会(行動美術協会)に出品した。円熟の作風は、シュルレアリスムの影響を示しつつも現実に根ざし、しばしば社会批判の要素を帯び、ときにユーモアの筆致で世の矛盾・不正を描く、情感と思想を伝える物語的な絵画を追った。以上の概略を超える、具体的な出品歴・個々の受賞・題のある代表作の詳しい記録は、あたった資料では裏づけられなかったため、推測せずここでは省く。
美術運動
九室会
昭和前期
二科会のなかで吉原治良らが興した前衛の研究団体
難波香久三から広がる系譜
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