ARTIST
錦古里孝治
1895 – 1971日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 錦古里孝治の生涯 1895–1971
錦古里孝治は1920年代から1940年代後半・1950年代初めにかけて活動した写真家。二次資料は生没年をそれぞれ1895・1971年とし種データと符合するが、これを十分に裏づける一次的な人名事典の項目は見あたらなかった。東京で活動し、ジャンル横断の美術団体・国画会(国画会)に連なった。国画会の写真部(国展写真部)は、1939年に福原信三・野島康三が、日本の美術団体のなかに設けられた最初の写真の部門として興したもので、錦古里はその正会員(会員)だった。写真の仕事には、美術品の記録・複製の写真——なかでも1933年の富本憲吉の文様の意匠を記録する連作(富本憲吉模様集)——のほか、肖像・絵画的な習作があり、横浜美術館は、ゼラチン・シルバー・プリント「煙草を喫う肖像」を一点所蔵する。写真雑誌にも文章を寄せ、「カメラ」誌1948年4月号に「顔の考察」を載せた。没後、東京都美術館で開かれた国展のなかで、ほかの国画会の物故会員とともに遺作の展示が行われた。国画会の写真部への所属、美術の記録・肖像の写真、1948年の雑誌の随筆、没後の国展の遺作展示というこれらの断片を超える、修学・師・出品歴の全容を記すまとまった記述は、あたった資料では裏づけられなかった。テニス選手の錦織圭や、錦古里・金古里の姓の別人と取り違えないよう注意すべきである。
美術運動
国画会
昭和
写真部をもつ日本のジャンル横断の美術団体
作品例
煙草を喫う肖像
写真
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