ArtNote/作家/野呂介石
ARTIST

野呂介石

1747 – 1828日本 出身紀州(和歌山) / 京都 / 熊野
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■ 野呂介石の生涯 1747–1828

野呂介石(1747-1828)は江戸時代後期の文人画家。紀州和歌山城下の湊紺屋町に町医の子として生まれる。10歳頃から藩儒伊藤長堅に儒学を学び、14歳で京都に出て黄檗僧鶴亭に長崎派の画法を、21歳頃には池大雅に南画の技法を学んだ。寛政5年(1793)、47歳で紀州藩士に取り立てられ、公務の傍ら熊野など紀州各地を訪ね、豊かな自然や風景を題材に精力的に制作した。花鳥・山水の水墨画を得意とし、詩文にも定評があった。祇園南海、桑山玉洲とともに「紀州三大南画家」と称される。日本最古とされる赤富士図の作者としても知られる。

美術運動

南画(文人画)/紀州三大南画家
江戸時代後期

池大雅の系譜を引く南画(文人画)を基盤に、長崎派の画法も取り入れた紀州藩の絵師。祇園南海・桑山玉洲とともに紀州を代表する南画家とされる。

作品例

雪景山水図
紅玉芙蓉峰図(赤富士図)
熊野紀勝図巻
水墨画南画山水画花鳥画

野呂介石から広がる系譜

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池大雅
1723–1776
南画の師
鶴亭
長崎派画法の師(黄檗僧)

同時代の作家

桑山玉洲
1746–1799
同じ紀州藩の南画家、紀州三大南画家の一人
祇園南海
1676–1751
紀州藩の儒官・文人画の先駆者、紀州三大南画家の一人
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