ARTIST
津田正周
1907 – 1952日本 出身日本 / フランス / 中国
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■ 津田正周の生涯 1907–1952
津田正周(1907–1952)は1907年(明治40)、京都に生まれた洋画家。京都絵画専門学校と関西日仏学院で学んだ。1929年に絵のためフランスへ渡り、1933年に帰国、1935〜36年ごろ再び渡仏して、後年の前衛の志向を形づくる同時代の欧州の潮流を吸収した。1934年、長谷川三郎・村井正誠ら若い画家とともに、既成のサロンの外で最も自由な絵画の表現を掲げるグループ「新時代洋画展」を組織した。「黒色洋画展」の圏にも連なった。これらのグループが1937年2月に合流すると、津田は、長谷川・村井・山口薫・矢橋六郎らとともに、戦前の日本の抽象・前衛絵画の重要な場の一つ・自由美術家協会の創立会員となった。1942年ごろに美術の世界を離れて映画の産業に移り、日本の映画会社の美術部に入って、のちに朝日映画の顧問を務めた(1944年)。1945年に特派員として満洲へ渡った。ハルビンでは、(日本が営む)東北大学の美術科の講師、モスクワ・シネマの画家、ハルビン美術協会の指導者として働いた。1952年1月19日、ハルビンで心不全のため47歳で没した。津田の独立の出品の記録や現存作は、アクセスできる資料では乏しく、上記の伝記は主に東京文化財研究所(東文研)の物故に基づくアーカイブの項目と、自由美術家協会の歴史に依る。
美術運動
自由美術家協会
昭和前期
抽象・前衛を進めた日本の美術団体
関連の深い作家
長
長谷川三郎
1906–1957
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