ARTIST
寺崎廣業
1866 – 1919日本 出身秋田 / 東京
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■ 寺崎廣業の生涯 1866–1919
寺崎廣業(てらさき こうぎょう、1866-1919)は秋田県出身の日本画家。慶応2年、秋田藩重臣の家に生まれたが、廃藩後の家運衰退を経て画家を志し、小室怡々斎に師事した後、上京して平福穂庵、南画家菅原白龍らに学んだ。1898年に東京美術学校助教授、1901年に教授として復職し、1913年には日本画科主任を務めた。岡倉天心の排斥事件に際しては橋本雅邦らとともに日本美術院の創設に参加。1907年の第1回文部省美術展覧会(文展)では日本画審査員を務め、自身も「大仏開眼」などを出品した。1917年には帝室技芸員に任命されたが、その2年後の1919年に52歳で没した。代表作に「秋苑」(東京国立博物館所蔵)などがある。
美術運動
日本美術院/文展
明治~大正期
岡倉天心排斥事件を機に橋本雅邦らと日本美術院創設に参加し、後に文部省美術展覧会(文展)の日本画審査員を務めた
作品例
秋苑
大仏開眼
日本画
寺崎廣業から広がる系譜
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