ArtNote/作家/単位三科
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単位三科

日本 出身日本

「単位三科」は個人ではなく、1926年に活動した短命の日本の前衛美術グループである。1924年10月に二科・マヴォなどの十四名によって東京で結成された無審査・反権威の出品団体「三科造形美術協会」の解体から生まれた。1925年の第二回展で、村山知義のマヴォ系の急進派が共産主義運動との直接の結びつきを求め、玉村善之助(北斗)ら穏健派がこれに強く反対して、協会は解散した。洋画家・中原実はその後「アクション」や「首都無選展」を経て、1926年に玉村北斗・大浦周蔵らとともに単位三科を興した。参加する各作家がそれぞれ独立した「単位」として振る舞うという考え方を掲げ、賞・審査・階層的な組織を退けた三科の精神を受け継いだ。実験的な演劇とも接点をもった。単位三科は結成後まもなく自然に解消したとみられ、展覧会や全容の記録は乏しい。団体であるため個人の生没年はあてはまらず、種データの1926/1927年ごろは活動時期を反映するものである。

美術運動

前衛美術
大正末

三科の流れをくむ無審査・反権威の前衛グループ

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