社会主義リアリズム
1934年、ソヴィエト作家同盟の会議で、ひとつの言葉が公式の指針として掲げられた。芸術は「社会主義的内容を、民族的形式によって」描かなければならない、というのである。抽象や実験は退けられ、労働者や農民、党の指導者を、誰の目にも分かりやすい写実的な筆致で描くことが求められた。革命直後にロシアで花開いた前衛美術―幾何学的な抽象や大胆なコラージュ―は、この転換によって公の場から締め出されていく。
背景には、急速な工業化と農業集団化を進める国家が、美術を宣伝と教育の道具として位置づけた事情がある。写真のような技術ではなく、人の手で描かれた油彩や彫刻だからこそ、理想化された未来を説得力をもって提示できると考えられた。工場の建設現場、収穫の喜び、赤軍の英雄的行進。画題は現実そのものというより、あるべき現実、来るべき社会の姿だった。
アレクサンドル・デイネカは、疾走する運動選手や飛行機を明快な構図に収め、若さと躍動感を国家の理想と重ね合わせた。イサーク・ブロツキーはレーニンをはじめとする指導者の肖像を数多く手がけ、権威を可視化する役割を担った。アルカジー・プラストフは農村の日常に光を当て、タチヤナ・ヤブロンスカヤは集団農場で働く女性たちを、誇張のない親しみやすい筆で描いている。ゲラシム・コルジェフのように、後年になるほど画面に陰影や緊張を含ませる作家も現れた。
この運動を今眺めるとき、単純な国家宣伝として片付けるだけでは見えてこないものがある。技術的な完成度の高さ、画家個人の筆致の違い、そして体制の理想と実際の生活との間にある微妙な隙間である。イタリアのレナート・グットゥーゾのように、社会主義リアリズムの理念は国境を越えて共鳴も生んだ。冷戦後、この様式は長く軽視されてきたが、近年は当時の社会そのものを映す資料として、また絵画技術の到達点として、あらためて評価が試みられている。