ポスト印象派
一八八六年、最後の印象派展が開かれたとき、会場の一室には仲間たちを困惑させる絵が並んでいた。点描で埋め尽くされた大画面ではなく、ここで問題にしたいのは、その少し後に続いた画家たちのことである。彼らは印象派の教えを受け継ぎながら、同時にそれを裏切った。光の揺らめきを追いかけるのではなく、その奥にある形や構造、あるいは自分の内側から突き上げてくる感情そのものを、画面に定着させようとしたのだ。
フィンセント・ファン・ゴッホは、糸杉や麦畑を、見たままの色ではなく、うねる筆触と激しい黄や青で塗り上げた。エミール・ベルナールやシャルル・ラヴァルは、輪郭線で色面を囲い込む手法を試み、装飾的でありながら象徴的な意味を絵に込めようとした。アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは、モンマルトルのキャバレーやダンスホールに集う人々を、鋭い線と大胆な構図で切り取った。彼のポスターや、彼が好んで描いたスザンヌ・ヴァラドンのような女性たちの姿には、印象派が避けてきた都市の裏側の生々しさがある。ジョルジュ・ラコンブは象徴主義に近い神秘的な木彫や絵画を手がけ、この運動の裾野の広さを物語っている。
背景には、写真の普及によって絵画が「見たままを写す」役割から解放されつつあったこと、そして日本の浮世絵など異文化の造形が新鮮な衝撃を与えたことがある。画家たちは、自然の忠実な再現を離れ、自分の目と心が捉えたものを信じるようになった。パリという都市も、彼らに材料を与え続けた。カフェ、劇場、郊外の風景、そこに集う人々の生態が、絵の主題として次々と取り上げられていった。
この動きは、のちのフォーヴィスムやキュビスム、表現主義へと道を開いた。色彩を感情の道具として使うこと、対象を単純化し再構成すること、絵を「窓」ではなく「独立した平面」として扱うこと。これらの発想は、二十世紀美術の出発点となった。作品を前にしたときは、描かれた対象そのものより、筆致の速度や色の選び方、線の強さに目を向けてほしい。そこに、画家がどれだけ自分自身の内面と対話していたかが、はっきりと刻まれている。