ポップ・アート
ポップ・アートは、一九五〇年代のイギリスに芽生え、六〇年代のアメリカで大きく展開した動向である。広告、漫画、商品パッケージ、報道写真といった大量生産・大量消費の視覚言語を、そのまま美術の主題に据えた。直前の抽象表現主義が作家の内面と身振りを重んじたのに対し、ポップ・アートは意図的に個人的な感情を消し、匿名的で平坦な画面をつくる。
イギリスでの出発点は、批評家や建築家、美術家が集まって大衆文化を論じた集まりにある。雑誌広告の切り抜きを組み合わせて理想の室内を描いたハミルトンのコラージュは、この動向の宣言のように受け取られてきた。アメリカでは、国旗や標的といった見慣れた記号を絵画にしたジョーンズや、日用品を画面に取り込んだラウシェンバーグが、抽象表現主義との橋渡しの位置にいる。
同じ動向でも英米では温度が違う。物資の乏しかった戦後のイギリスにとって、アメリカの消費文化は海の向こうの憧れであり、そこには距離を置いた観察のまなざしがあった。対してアメリカの作家たちは、その文化のただなかにいて、日々目にするものをそのまま画面に上げている。背景には戦後の消費社会の成立がある。テレビが家庭に入り、スーパーマーケットが並び、同じ商品と同じ広告が全国に行き渡った。芸術家が「高級な主題」から目を離してあたりを見回したとき、そこにあった最も生き生きとした視覚文化が、まさに商業イメージだった。シルクスクリーンのような複製技術を使うことで、手仕事の痕跡すら消していく作家もいた。
ウォーホルはスープ缶や有名人の肖像を反復し、リキテンスタインは漫画の一コマを網点まで含めて拡大した。オルデンバーグは日用品を巨大な柔らかい彫刻に置き換えた。称賛なのか批判なのかを決めきらない、その宙吊りの態度がこの動向の特徴である。
ポップ・アートは、美術と大衆文化を隔てていた壁を実質的に取り払った。現代のアートがファッションや音楽、広告と自然に往復できるのは、この時期に前提が変わったからである。作品を前にしたときは、素材となった元のイメージを思い浮かべ、それが美術館の壁に掛かることで何が変わったのかを考えると、この動向の狙いに近づける。