フォトリアリズム
カメラのファインダーを覗きながら、画家が絵筆を握っている。フォトリアリズムの画家たちがまず手にしたのは、絵の具ではなく写真だった。街角、車、ショーウィンドウ、見知らぬ人の顔を撮影し、そのスライドをプロジェクターでキャンバスに投影し、輪郭をなぞり、色を置いていく。エアブラシを使う者もいれば、グリッド線を引いて方眼ごとに写し取る者もいた。手描きの痕跡を消し去り、写真がもつピントのボケや反射光のにじみまでも克明に再現することが、彼らの目指した精度だった。
この手法が成立した背景には、一九六〇年代アメリカの技術的・社会的条件がある。安価な35mmカメラと高性能プロジェクターの普及により、写真は画家にとって身近な下絵の道具となった。同時に、抽象表現主義が主導してきた「筆致に宿る画家の内面」という価値観への反発もあった。ポップアートが日用品や広告のイメージを取り込んだ流れを引き継ぎつつ、フォトリアリズムはさらに徹底して、画家個人の情緒や解釈を画面から排除しようとした。見る者に問われるのは「何が描かれているか」ではなく「これは絵か、写真か」という戸惑いそのものである。
代表的な作家として、チャック・クロースは巨大な顔の写真を格子状に分割し、一マスずつ塗り重ねて途方もない大きさの肖像を作り上げた。ドゥエイン・ハンソンは彩色したブロンズや樹脂で等身大の人物像を作り、観客が本物の人間と見誤るほどの迫真性を追求した。トム・ブラックウェルやジョン・バダリーはクロムメッキの自動車やショーウィンドウのガラスに映り込む反射光を丹念に描き、都市の表層そのものを主題にした。ヴィヤ・セルミンスは海面や砂漠、星空といった均質な広がりを緻密な鉛筆線で写し取り、絵画とも写真とも呼びがたい静けさを生み出している。
この運動は後のスーパーリアリズムやハイパーリアリズムと呼ばれる潮流に直結し、写真と絵画の境界を問う姿勢はデジタル画像が氾濫する現代においてなお有効な視点を提供している。作品を前にしたとき、遠くから写真的な完璧さに驚き、近づいて絵の具の物質性に気づく、その往復運動のなかにこそ、この運動の核心がある。