ヌーヴォー・レアリスム
パリの壁に貼られたポスターは、雨に濡れ、破られ、上から次のポスターが重ねられていく。その表面を丸ごと剥ぎ取ってきたら、それがそのまま作品になる。ジャック・ヴィレグレはそうした「引き剥がされたポスター」を画布の代わりに提示した。そこにあるのは絵筆の跡ではなく、都市そのものが積み重ねた時間の跡である。1960年、批評家ピエール・レスタニーの呼びかけに応じた作家たちは、キャンバスに向かって何かを描くのではなく、現実の物そのものを作品に持ち込むという一点で結びついた。
この発想の背景には、大量生産と大量消費が本格化した戦後フランスの都市がある。街には広告と商品と廃棄物があふれ、もはや絵画的な模倣によって現実を描く必要はなくなった。現実そのものを切り取ってくればよい。セザールは自動車のスクラップを油圧プレスで圧縮し、無機質な直方体の塊として発表した。かつて速度と欲望の象徴だった車体が、ただの金属の塊に還元される様子は、消費社会の行き着く先を突きつける。マルシャル・レイスは商品の包装紙やレッテルをコラージュし、消費文化の表層をそのまま作品の皮膚とした。
ニキ・ド・サンファールは、絵具を詰めた袋を石膏の表面に埋め込み、それを銃で撃って絵具を流れ出させる「射撃絵画」を制作した。制作という行為自体を暴力的な身体の運動に変えたこの手法は、絵を描くという行為の意味を根本から問い直すものだった。レイモン・アンスはヴィレグレとともに、街頭のポスターを剥ぎ取る手法を最初期から実践した。ジェラール・デシャンは古着や布きれを寄せ集めて画面に張り込み、既製の物が持つ色と質感をそのまま造形の素材とした。個々の物の由来は背景に退き、集められた量そのものが新しい視覚を生む。
これらの手法はアメリカのポップ・アートとほぼ同時期に、しかし独立して展開された点が重要である。ヌーヴォー・レアリスムは絵画的な幻想を退け、現実の断片をそのまま提示することで、後のインスタレーションやアッサンブラージュの表現に道を開いた。展示室で目にする圧縮された車や剥がされたポスターは、美しさを求める視線ではなく、当時のパリの街路そのものを思い出させるものとして見るとよい。