新印象主義
筆をキャンバスに置くのではなく、色の点を規則的に並べていく。近くで見れば無数の小さな斑点にしか見えない画面が、数歩下がった瞬間に人物や風景として立ち上がる。この仕掛けを最初に体系化したのがジョルジュ・スーラで、大きな画面に何百時間もかけて点を打ち続けた制作態度は、それまでの印象派の速筆とは対照的だった。印象派が光の揺らめきを一瞬の筆致で捉えようとしたのに対し、新印象主義は色彩理論に基づいて計算し、点描という手法によって画面上で色を混ぜずに視覚の中で混合させようとした。
この方法は当時の科学的な色彩論や視覚に関する研究から強い影響を受けている。補色を並置すれば見る側の目の中でより鮮やかな色として感じられるという考え方を、画家たちは絵画に応用した。批評家フェリックス・フェネオンは、この技法に「分割主義」という呼び名を与え、理論的な擁護者として運動を支えた。感覚や情緒に頼るのではなく、規則と理論によって絵画を組み立てようとする姿勢は、産業や科学が急速に発展した時代の気運とも響き合っている。
ポール・シニャックはスーラの理論を受け継ぎ、南仏の港や川辺の風景を明るい点描で描き続けた。スーラの死後、運動の実質的な推進者となったのは彼である。アンリ=エドモン・クロスは南仏の光を点描でとらえ、後の色彩表現に影響を残した。テオ・ファン・レイセルベルヘやシャルル・アングランらはこの技法を肖像や日常風景に広げ、リュシアン・ピサロは父カミーユ・ピサロを通じて印象派と新印象主義を橋渡しする役割を担った。
点描という厳格な手法は長くは続かなかったが、その色彩理論はマティスら後の画家たちに刺激を与え、フォーヴィスムの鮮烈な色彩表現へと道を開いた。実際に絵の前に立ち、離れたり近づいたりしながら点の集積が像に変わる瞬間を体験してみると、この運動が目指した「見ることの仕組み」への関心が生々しく伝わってくるはずである。