ARTIST
酒井田柿右衛門, 十二代
1878 – 1963日本 出身佐賀県有田
1800185719131970現在
■ 酒井田柿右衛門, 十二代の生涯 1878–1963
十二代酒井田柿右衛門(さかいだ かきえもん、1878-1963)は、佐賀県有田を拠点とした陶芸家。本名は正次。十一代柿右衛門の長男として生まれ、有田徒弟学校(後の有田工業学校)を卒業後、父から陶芸技術・図案を学び、南画も5年間学んだ。1917年に十二代を襲名。1919年に実業家小畑秀吉と柿右衛門焼合資会社を設立したが、経営方針の違いから1928年に脱退した。長男・渋雄(後の十三代柿右衛門)と共に、江戸期以来途絶えていた乳白色の素地「濁手」の復興に成功し、1955年に柿右衛門の製陶技術が文化財保護委員会により記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に選択された。1955年に日本工芸会賞、1957年に文化財保護委員会委員長賞、1958年にブラッセル万国博覧会グランプリを受賞、1962年に勲四等瑞宝章を受章した。1963年、佐賀県西松浦郡の自宅で老衰のため死去、享年84。
美術運動
柿右衛門様式(色絵磁器)
近代(大正〜昭和)
江戸期に確立された乳白色の「濁手」素地に赤絵を施す柿右衛門様式の伝統技法を、途絶えていた濁手素地の復興によって近代に継承した。
作品例
濁手花瓶
色絵花瓶
色絵磁器陶芸
酒井田柿右衛門, 十二代から広がる系譜
ノードに触れると関係が表示・ドラッグ可
十
十一代酒井田柿右衛門
父
十
十三代酒井田柿右衛門
1906–1982
長男・後継者同時代の作家
十
十三代酒井田柿右衛門
1906–1982
長男。十二代と共に濁手素地を復興、後に人間国宝に認定された。酒井田柿右衛門, 十二代の作品と出会ったら、ArtNoteで記録しよう作品を撮るだけ。タイトルも作家も、AIが整理します。
アプリを入手
この解説はAIが生成し、ArtNote編集部が確認しています。
誤りを報告する