ARTIST
迫幸一
1918 – 2010日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 迫幸一の生涯 1918–2010
迫幸一(1918–2010)は広島県呉に生まれた写真家。1938年に広島県立の工業学校の機械の課程を出て、のちに東洋工業(現・マツダ)に勤めた。1945年8月、原爆の投下の直後に被爆した広島に入り、残留放射線を浴びた入市の被爆者で、この体験が、写真を通じて広島の街と人々に生涯関わる姿勢を形づくった。おおむね独学の写真家で、画歴を通じて呉と広島の広い圏を拠点に、形式を意識した主観的な感性で、日常の風景・地元の暮らしを撮り、戦後日本の「主観写真(主観写真)」の早い実践者と目される。1952年に「アサヒカメラ」誌に初入選し、1954年からは二科会の写真部(二科展)にくり返し入選して、以後長く連なる会員となった。1959年にニューヨーク近代美術館で作が展示され、うち五点がのちにMoMAの常設の収蔵に入って国際的に認められた。2002年、まとまった作(写真86点と伝わり、さらに数点は購入で加わる)を呉市立美術館に寄贈し、同館は写真の特別展を開いた。戦後の広島・呉を写した像は、以後、広島県立美術館などでの広島県ゆかりの写真家の回顧展にも取り上げられた。具体的な師・出品歴の全容・受賞の名などのこれ以上の伝記は、アクセスできる資料では記録が薄い。
美術運動
主観写真
戦後
主観的な表現を追った戦後日本の写真
迫幸一の作品と出会ったら、ArtNoteで記録しよう作品を撮るだけ。タイトルも作家も、AIが整理します。
アプリを入手
この解説はAIが生成し、ArtNote編集部が確認しています。
誤りを報告する