ARTIST
薗田猛
1911 – 1962日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 薗田猛の生涯 1911–1962
薗田猛(1911–1962)は東京市本郷区の駒込に生まれた画家。太平洋美術学校(太平洋美術学校)に学び、同窓の松本竣介・石田新一とともに「近代芸術研究会」を作った。1930年代初め、戦前の左翼の社会に踏み込んだ写実の画家の主要な組織・日本プロレタリア美術家同盟に加わって活動した。政治の活動により1934年に治安維持法違反で検挙され、横浜の戸塚警察署で75日間拘束された。自由美術家協会にも連なったと記録される。第二次大戦後、1946年に、毎年の日本アンデパンダン展を興した民主的な作家の組織・日本美術会の創立に加わり、日本共産党に入った。戦後の民主化運動や、日本の米軍基地に反対する運動に打ち込み、その活動は、反基地の抗議に連なる群馬の妙義山の写生などに映る。1952年には東京・練馬で丸木位里・丸木俊の「原爆の図」の展覧会を組織し、練馬平和懇談会の事務局長を務めた。1962年、1960年の安保(日米安保条約)闘争の余波のなか、51歳で没した。薗田の残る伝記の記述の多くは、雑誌「美術運動」の一件の回顧の記事に由来し、個々の挿話(年・所属・具体的な作)の独立の裏づけは限られるが、生没年と東京の拠点はアートプラットフォームジャパンの日本アーティスト事典が裏づける。
美術運動
日本プロレタリア美術家同盟
昭和前期
戦前の左翼・社会派の美術の組織
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