ARTIST
榊原苔山
1890 – 1963日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 榊原苔山の生涯 1890–1963
榊原苔山(1890–1963)は京都で活動した日本画家。本名は資料により秀次・秀嗣・秀次(ひでじ)などと記され、1890年(明治23)ごろ、大きな芸術一家の家に京都に生まれた。父は画家・榊原蘆江で、多くの兄弟のなかに日本画家の榊原紫峰・榊原始更(しこう、とも読む)がいた。苔山は京都市立美術工芸学校、続いて京都市立絵画専門学校の本科の絵画を出て、近代京都日本画の第一人者の一人・竹内栖鳳に学んだ。この縁で栖鳳の私塾・竹杖会に加わり、同会は上村松園・土田麦僊・西山翠嶂や、兄弟の榊原紫峰らも輩出した。作「五月雨」が1909年の第3回文展に入選して発表の初舞台を踏んだ。以後、文展(計約四回入選)に、のちにその後身の帝展にも出品して、帝展にはおよそ十二回出品し、1912年の第6回文展では「枇杷」で褒状を受けた。1930年(昭和5)の第11回帝展から無鑑査(推薦)の待遇を得た。のちに、紀元二千六百年を記念する1940年の奉祝の特別展に「富岳」を出品し、これが最後の主要な公の発表の一つとなった。1963年に京都で没した。彼に絞った一次的でない独立の資料が乏しいため、正確な生年月日や本名の読みなど一部は資料間で一致しない。
作品例
五月雨
枇杷
富岳
日本画
榊原苔山から広がる系譜
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