ARTIST
日本概念派
日本 出身日本
「日本概念派」は個人の作家の名ではなく、およそ1960年代半ばから1970年代初めにわたる日本のコンセプチュアル・アートの流れを指す批評的・歴史的な語である。この呼称は美術批評家・美術史家の千葉成夫が著書「現代美術逸脱史 1945–1985」で用い定義したもので、松澤宥(1922–2006)・高松次郎(1936–1998)・柏原えつとむをその代表に挙げる。種データのおおよその「生年1960/没年1970」は、この活動期(1960〜70年代)を人の生没と取り違えたものとみられ、この名の個人は存在しない。この動きは、欧米のコンセプチュアル・アートとおおむね独立に、場合によってはそれに先立って展開した点で重要である。1964年6月1日、松澤は「物体を消せ」と告げる夢の啓示を受けたとし、以後テキストによる作を作り始めた。これはジョゼフ・コスースの規範的なコンセプチュアルの作「一つと三つの椅子」(1965年)におよそ一年先立つ。この年代は、日本のコンセプチュアリズムが欧米の輸入ではなく、同時期の反芸術やもの派の潮流と絡んで独自の文脈から生じたと論じる根拠にされてきた。関連する作・出来事に、松澤の刷りのテキスト作「プサイの死体」(1964年)、雑誌「美術ジャーナル」に載ったメールアートの広告作「荒野におけるアンデパンダン展'64」(1964年)、二つの画期的なグループ展——信濃美術館の「芸術という幻想の終焉」(1969年)と京都市美術館の「ニルヴァーナ 最終美術のために」(1970年)——がある。批評の範疇であって単一の作家ではないため、生没年・国籍の伝記や個人の受賞は帰しえない。
美術運動
コンセプチュアル・アート
1960〜70年代
日本独自に展開した概念芸術の流れ
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