ArtNote/作家/島田佳牟
ARTIST

島田佳牟

1870 – 1961日本 出身日本
1800185719131970現在
■ 島田佳牟の生涯 1870–1961

注記:種データの名は「島田佳牟」だが、この人物は確認できず、裏づけとなる資料はいずれも「島田佳矣」を指す。生年(1870年)が種データと一致し、没年(1961年)も種データのおおよその年に近いことから、同一人物の字の異表記とみられる。本項は島田佳矣に従う。島田佳矣(1870–1961)は、旧金沢城下の浅野川左岸の天神町に、前田家の家臣・生田家に連なる家に生まれた画家・図案家・図案教育者。新設の東京美術学校に入り、初代校長・岡倉天心のもとで絵画科に学び、横山大観・下村観山らと同窓で、1894年ごろ卒業した。卒業後は図案の教育へ進み、東京高等工業学校で図画・図案を教える教諭・のちに助教授として工業図案の課程の確立を助け、続いて東京美術学校でも図案を教えた。生涯を通じて郷里の金沢と強く結び、石川県立工業学校の図案・絵画の分野に連なるデザイナーを育て、金沢の伝統的な「百万石」の工芸産業(漆・金工・染織などの装飾工芸)の近代の復興の中心人物として、「百万石工芸復興の父」とも称される。皇室への献上品のために作られた墨・淡彩・鉛筆の図案(下絵)が東京藝術大学大学美術館に所蔵される。教授の在任の正確な年や、出品・刊行した意匠の全容は、いま入手できる資料では確認しにくい。

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