ARTIST
山田文厚
1846 – 1902日本 出身京都
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■ 山田文厚の生涯 1846–1902
山田文厚(やまだ ぶんこう、1846-1902)は明治期の日本画家。京都出身で、本名は平三郎、字は和平、春霞・晴霞などの号を用いた。はじめ岸駒門下の泉春園に学び、のち四条派の塩川文麟に師事した。内国勧業博覧会や内国絵画共進会に出品して受賞を重ね、1889年のパリ万国博覧会では金牌を受けるなど国内外で評価を得た。1880年に京都府画学校(後の京都市立絵画専門学校)の教員となり、以後も同校で指導にあたった。花鳥や山水を得意とし、四条派の画風を継承する作品を残した。1902年8月30日、57歳で没した。
美術運動
四条派
明治時代
円山四条派の流れを継ぐ写実的で温和な画風を特徴とする京都画壇の一派。塩川文麟門下の系譜に属する。
作品例
花鳥山水図
琴棋書画図
松下弾琴図
銀閣寺
日本画花鳥画山水画
山田文厚から広がる系譜
ノードに触れると関係が表示・ドラッグ可
塩
塩川文麟
1808–1877
師泉
泉春園
最初の師
同時代の作家
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