ArtNote/作家/塩月桃甫
ARTIST

塩月桃甫

1886 – 1954日本 出身宮崎県 / 台湾(台北) / 大阪・松山
18001850190019502000
■ 塩月桃甫の生涯 1886–1954

塩月桃甫(しおつき とうほ、本名:永野善吉)は1886年、宮崎県児湯郡三財村(現・西都市)に生まれた洋画家。宮崎県師範学校卒業後、東京美術学校図画師範科に進み1912年に卒業。大阪・松山で教員をしながら制作を続け、1915年に文展初入選。1921年、35歳で台湾に渡り、台北第一中学校や台北高等学校で図画教師を務めながら25年間台湾で活動した。1927年創設の台湾美術展覧会(台展)では第1回展から運営・審査に携わり、藤島武二や梅原龍三郎ら日本画壇の重鎮を審査員に招くなど台湾美術振興に大きく貢献した。台湾原住民の文化や風俗に深い関心を寄せた作品を多く残した。1946年に宮崎へ引き揚げ、宮崎大学講師や県展審査員として郷土の美術界に貢献し、1953年に宮崎県文化賞を受賞。1954年に没した。

美術運動

台湾美術展覧会(台展)
日本統治時代の台湾(1920年代〜1940年代)

日本統治下の台湾で創設された官展。塩月は第1回展から運営・審査に深く関わり、台湾における西洋美術の紹介と振興に大きな役割を果たした。

運動ページへ →

作品例

蕃人舞踊団
裸婦
舞妓
洋画油彩画

塩月桃甫から広がる系譜

ノードに触れると関係が表示・ドラッグ可

同時代の作家

塩月桃甫の作品と出会ったら、ArtNoteで記録しよう作品を撮るだけ。タイトルも作家も、AIが整理します。
アプリを入手
この解説はAIが生成し、ArtNote編集部が確認しています。 誤りを報告する