ARTIST
丸岡比呂史
1892 – 1966日本 出身日本
1850189419381982現在
■ 丸岡比呂史の生涯 1892–1966
丸岡比呂史(1892–1966)は大正・昭和初期の京都で活動した日本画家。1892年に京都市に生まれた。はじめ京都の専門学校の図案科で染織・友禅の文様図案を学んだのち、絵画に転じて、京都日本画の革新運動の中心人物で、1918年に官展の外に国画創作協会を興した土田麦僊(1887–1936)に師事した。麦僊の約100名の門下のなかでも早くから頭角を現し、1920年、『母子』が第3回国展(国画会)で落選作中の第10位に評価されて、有望な新人として認められた。のちに国展の出品作『菱の池』で認められたが、この作は長く所在不明で、2018年頃に再発見されて改めて注目された。日本画の装飾性・写実性に、西洋画から吸収した構成や色彩を融合する、国画創作協会の美意識に沿った作風だった。1936年の師・土田麦僊の死後は画壇から退き、その後の活動はほとんど記録が残らない。1966年に没した。現存する作は約20点と少ない。
丸岡比呂史から広がる系譜
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